やがま しわくほんじまたかんぼうやまいしきりちょうばあと
徳川幕府が築城した大坂城や江戸城の築城石が大量に切り出された場所。233個の大坂城予備石が残されており、内49個確認。日本遺産で遊歩道がある。黒田家が切り出した江戸城の築城石は最大40トンの巨石。江戸城二の門にある。
やがま しわくほんじまたかんぼうやまいしきりちょうばあと
徳川幕府が築城した大坂城や江戸城の築城石が大量に切り出された場所。233個の大坂城予備石が残されており、内49個確認。日本遺産で遊歩道がある。黒田家が切り出した江戸城の築城石は最大40トンの巨石。江戸城二の門にある。
こがらすじんじゃ 鳥居は市文化財
本島町泊(とまり)
江戸初期1674年に建立。古さも大きさも堂々たる二間社。古事記の時代から塩飽の島びとが水先案内をしていたことを示す「こがらす伝説」がある。
らいこうじ
本島町泊(とまり)
来迎寺は、1207年に本島へ配流となった法然上人が専修念仏を説いた場所。関ヶ原の戦いで敗れて塩飽に逃れてきた宇喜多直晁(宇喜多秀家の弟)の墓がある。
めおとぐら 市文化財
本島町生ノ浜(いきのはま)
嘉永5(1852)年、塩飽大工物部喜代七が建てた薪廻船業長尾家の倉。江戸時代、生ノ浜は71軒中43軒が大工だった。薪廻船は今のタンカーに相当する重要な燃料輸送手段だった。
さんしょじんじゃ 国登録有形文化財
本島町生ノ浜(いきのはま)
本堂は天保6年、拝殿は明治36年。彫物は、本殿拝殿とも、豪放磊落、かつ繊細で、地元の社に施した塩飽大工の遊び心を感じさせる。
といわ かんのん
本島町生ノ浜(いきのはま)
室町時代と思われる。気づかずに通り過ごしそうな道端の磨崖仏。刻まれた頃は観音菩薩だったが、柔和なお顔から、悟りを開いて如来になられているよう。
やがま かいすいよくじょう
本島町屋釜(やがま)
江戸時代初め、この浜から大阪城築城石が5000個も運び出された。今は、無料のシャワー、トイレがあり、知る人には人気の海水浴場。
かさしままちなみほぞんちく
本島町笠島(かさしま)
国の重要伝統的建造物群保存地区である笠島の町並み。
塩飽が正史に登場する平安時代には既に玄関の港だった。
かさしままちなみほぞんセンター
本島町笠島(かさしま)
見学ができるので、塩飽大工の建築物を見てみよう。
入館料 大人200円、子ども無料、定休日 月曜日(祝日の場合は翌日)、12月29日~1月3日
としより「よしだけ」のはか 国史跡
本島町笠島(かさしま)
天正18(1590)年に始まった人名(にんみょう)制度(全国でもここだけの自治制度)でトップ4人の一人であった吉田家の墓
とうこうじ やくしにょらい 国重要文化財
本島町甲生(こうしょう)
昭和33年に3か月をかけて修理した大仏師の西村公朝さんが絶賛し、1150年頃、中央の作で平等院鳳凰堂阿弥陀如来の流れを汲むと見立てられている。
しわく きんばんしょ 国史跡
本島町宮ノ浜(みやのはま)
江戸時代、塩飽諸島は自治領だった。ここは政所。信長、秀吉、家康ら5人の将軍の朱印状がある。大岡越前守が関与した裁許書がある。
入館料 大人200円、子ども無料、定休日 月曜日(祝日の場合は翌日)、12月29日~1月3日
としより「みやもとけ」のはか 国史跡
本島町泊(とまり)
天正18(1590)年から約200年間、塩飽諸島のトップ(肩書を年寄という)であった宮本家の墓。高さ3m以上の位牌型。
しわくこうぎょうがっこう あとち
本島町泊(とまり)
江戸から明治大正まで全国に名をはせた塩飽大工の組合が中心となり村立で、明治30年に建てた工業学校。写真は当時の学校の校舎。
多度津工業高校の前身。この建物は現存しない。
しょうがくいん ほんどう
本島町泊(とまり)
真言宗醍醐派。天平年間(約1200年前)の開基。塩飽諸島の総括寺院。7月第3日曜には火渡りの荒行がある。観音堂、仁王門は船主の寄進による江戸初期の建物。
しょうがくいん きゃくでん ほりもの
本島町泊(とまり)
塩飽大工北山助四郎の腕前を示す彫物が見事。珠を持った獅子等もじっくりと拝見したい。