牛島
周囲4.2㎞の
小さな島です。
水が豊かで、
鳥の鳴き声が近い、
美しい自然の風景の中を
歩きながら、
ゆったりとした時間を
過ごしてみませんか?
見どころ
赤灯台
赤いタイル張りの外観が特徴。
牛島北側、里浦港の沖合約70mの浅瀬に海中から突き出すように建設されている。
正式名称は「牛島灯標」で、浅いところに船が乗り上げないよう知らせてくれている。
極楽寺
市文化財
江戸時代、廻船業で活躍、巨万の富を得た丸尾、長喜屋ら船持ち衆の寄進によって建てられた。
愁眉の厨子を持つ観音堂、鐘楼などが残っている。
梵鐘は1677年、名工・泉州菊波出雲藤原家次が鋳造し、銘文は高僧浄厳によるもので、
「無間の鐘」伝説がある。
水田
島内の豊富な湧き水をため池から引いて、水田を作っている。
春から夏の青々とした稲の景色、秋の赤い彼岸花と黄金色の稲穂
が並ぶ景色など、
風情ある景色が楽しめる。
池神社湿原
里浦港から徒歩約10分の場所に広がる、県内屈指の湿原。
様々な動植物や昆虫類が生息し、多くの渡り鳥が飛来する。
小浦からの朝日
牛島の小浦地区からは、海の向こうに浮かぶ瀬戸大橋の下から朝日が昇る幻想的な景観を楽しめる。
人影も少なく静寂の中で見る朝日は、水面を揺らす柔らかな光が美しい。
牛島伝説
●丸尾五左衛門 無間(むげん)の鐘

むかし塩飽の牛島に五左衛門という若者がいました。
牛島の極楽寺という寺には、無間の鐘と呼ばれる鐘があり、突くと、いっときは大金持ちになれるが、必ず没落し無間地獄(むげんじごく)に落ちるという言い伝えがあり、誰も突く人はおりませんでした。
五左衛門は雇われ者で貧乏でしたが血気にはやっていましたので、「言い伝えやこし、かまへん。金持ちになった方がええけに」と、鐘を大きく響かせました。初めて鐘の音を聞いた島びとたちは、恐れおののきました。
それからの五左衛門は、やることなすこと大当たりして、あっという間に塩飽で一番の船持ちになり、丸尾という姓を名乗りました。大大名の細川家に大金を貸したり、摂津の豪商鴻池家さえ驚かせたりするほどでした。持ち船の数はわからないほどになりました。
調子に乗った五左衛門は、自分の船を全部見てみたくなり、山頂から勘定できるように、島から大槌島方向に並ばせました。数え始めましたが、半分も数えないうちに陽が沈みそうになりました。五左衛門は金の扇を開いて「しばらく戻って下され」と陽を招き返しました。すると島かげに沈もうとしていた陽がまた上がりました。それで船の数を数えることができました。
しかし、お日さまと船魂(ふなだま)さまの怒りにふれ、その夜の嵐で全ての船が沈没し、五左衛門は一文無しになってしまいました。無間の鐘の伝説は本当でした。
原典:日本の民話5 讃岐の民話(未来社)、及び牛島に伝わる伝説
●丸尾五左衛門 鼻ききの五左衛門
むかし塩飽の牛島に貧乏で雇われ水主(かこ)の五左衛門という若者がいました。どうかして金持ちになろうと策略を巡らし、船出の前に女房に、「何月何日何時に家に火をつけろ、ぼろ屋じゃけに惜しうはないけに」と命令しました。船が玄界灘に来た時、その日時になって、五左衛門は大声で船頭に、「今わしの家が燃えとる。くさいくさい。」と叫びました。船頭は「何百里も離れとんじゃ、なんが匂うか。若しほんまなら、わしが大きな家を建ててやる」と言いましたので、「口だけやこし安心できんけに証文を書いて下され」と頼み、証文をもらいました。
船が西回りから戻るとき、金毘羅さんへお参りする前に牛島に立ち寄ったら、五左衛門の家は焼けてしまっており、約束通り船頭に大きな家を建ててもらいました。
五左衛門の鼻ききは大層評判になり、太閤さまの耳にまで届きました。子供が病気で加持祈祷をしても直らず困っていた太閤さまは、五左衛門を召し出し、「お前の鼻で子の病を嗅ぎ出せ」と命令しました。できるはずが無いので五左衛門は困り果て、「七日七晩祈念するけに」と言って金毘羅さんへ籠もりしましたが、何の策も出るはずがありません。打ち首を覚悟した最後の夜明け、うとうとしていると鳥が、「お城の七つの隅のやぐらの事業石が蛇を押さえつけとる。その石をどけりゃええのに」と告げました。それを太閤さまに報告すると、家来にやぐらを壊して事業石を掘り出せたら、蛇の死骸がありました。ねんごろに供養すると、子の病気はたちまち直りました。
たいそう喜んだ太閤さまは、「なんでも望み通りの褒美をとらすぞ」と言いましたので、「千石船を一杯下され」と頼み、聞き遂げられました。それから五左衛門は塩飽で一番の船持ちにのし上がっていきました。
原典:日本の民俗37 香川(武田明)より。原話者:本島甲生浦 長尾いその
●丸尾五左衛門 金の砂
むかし塩飽の牛島に五左衛門という若者がいて、讃岐と大坂を行き来する船の飯炊きをしていました。船が正月休みのために播磨の鹿ガ瀬で碇を入れた時のことです。
みんなは酒を飲んで寝てしまい、五左衛門が後片付けをしているときに、ふと舵の口を開けてみると船が瀬の上に座っています。けったいなことじゃと言いながらよく見ると、砂がきらきらと輝いていました。きれいなことじゃ、あれで鍋や釜を磨いたらきれいになるじゃろと、鍋すけ(鍋置き)を持って瀬へおり、砂をいっぱい(たくさん)取ってきました。
しばらくして、みんなが碇をあげて帆をまくぞと言うので、五左衛門は「瀬にのっとるけに動けんぞ」と言いました。「ばか言え、鹿ガ瀬はどんだけ引いても干上がらん」と言うので、「証拠があるけん見てくれ」と鍋すけを見せると、砂ではなくて輝く小判でした。みんなは欲しくなって、「わしらにも分けにゃならんぞ」というので、仕方なく分けてやり、みんなは大事そうに袋に入れました。
船が大坂に着いたので、みんなはこれで遊べるぞと袋を開けると砂でした。しかし、五左衛門の袋だけは小判でした。五左衛門は、その金をもとでにして、大分限者になりました。
原典:日本の民話5讃岐の民話(未来社)
宿泊
ゲストハウス・アイランドガール

| 場所 | 丸亀市牛島小浦 |
|---|---|
| 営業時間 | チェックイン 13:00 チェックアウト 11:00 |
| 電話 | 0877-27-3818 |
ゲストハウス Ocean Front

| 場所 | 丸亀市牛島小浦 |
|---|---|
| 営業時間 | チェックイン 13:00 チェックアウト 11:00 |
| 電話 | 0877-27-3818 |